海壁

第十二章

二十年

挿絵:二十年

量り直しが始まって六日目の昼、南の空に、船が見えた。

帆に、グリフォンの羽根の模様。

提督の船だった。

光の柱が、畑の端に降りた。柱の中から、短い赤い髪の女が、まっすぐ歩いてきた。鎧は着ていなかった。灰色の外套に、腰に硝子の板を下げていた。

ヴァレリア・コルトは、畑の縁で立ち止まって、地平線まで並ぶ寝息を、一度だけ見渡した。

それから、マーロウの前に来た。

『数えに来た』

「何をだ」

『この畑だ。都の粒の三割は、この畑から来る。おまえが一を連れて帰れば、三割が消える。議会に出す数が要る』

提督は、崩れた鐘鳴きの殻を見た。八つ。大きいのが一つ。

『…連れて帰っていないようだな』

「帰れなくなった」


ロズリンが、帳面を開いて、全部を話した。

一の輪。ガリー・ノーツの「ヴェスタ」。東の列の二つ目の輪。ハロルド・ドーセットの「ウィラ」。ティルダの目の欄。

提督は、一度も口を挟まなかった。

聞き終わってから、ティルダの帳面を借りて、目の欄の丸を、指で数えた。

速かった。頁をめくる指が、止まらなかった。

『四千七百十一人を量って、丸が百八十六』

提督は、帳面を閉じた。

『ほとんどが、一の輪と、東の輪の中だ。輪の外では、丸は三つしかない』

「輪の外は、戻らないってことか」

『輪の外には、血が届いていないということだ』

提督は、地面に、指で丸を二つ描いた。

『輪一つで、およそ五百人。二万人を全部輪の中に入れるには、輪が四十要る。血が四十人ぶん要る』

マーロウは、黙った。

この系統で、生きているのは、二人だった。

『今の二人で、二万人を全部戻すなら』

提督は、指で、何かを数えた。

『輪を順に動かして、一つの場所に一年かけるとして、二十年』

「二十年」

『その二十年、おまえたちは、毎晩、胸に管を刺して寝る。そして、痩せる。一年で一のようになるなら、二十年後には、どちらも生きていない』

誰も、何も言わなかった。

一が、小屋の前で、自分の細い腕を見ていた。


『それと、これだ』

提督は、外套の内側から、封をした紙を一枚出した。

議会の印が、押してあった。

『議長から、畑の監督官に宛てたものだ。私が都を出る前の晩に、議会が通した』

ティルダが、前に出た。

紙を受け取って、封を切って、読んだ。

一行ずつ、指でなぞった。

『…畑の者を変換器に入れることを、当面、止める。東の野の麦の結果が出るまで』

ティルダの平らな声が、最後の行を読んだ。

『見えないものが死ぬのは、見えなくても分かる。議長、エドガー・マルム』

ウィラが、父親の杭の前で、膝から崩れた。

ミラベルが、横で支えた。

ティルダは、紙を畳んで、帳面の間に挟んだ。

『…かしこまりました』

それから、兵たちのほうを向いた。

『収穫を、止めます。秤は、そのまま使います。重さと、目を、量り続けます』

兵の一人が、顔を上げた。

「目も、ですか」

『はい。書くな、とは、ございません』


夕方、提督が、マーロウの横に座った。

畑の光が、日の沈むのに合わせて、少しずつ明るく見えはじめていた。

『二十年は、長い』

「分かってる」

『数を出すのが私の仕事だ。だが、この数は、出したくなかった』

提督は、腰の硝子の板に触れた。

『来る前に、本部に訊いた。この系統は、ほかに生きているか、と』

マーロウは、提督の顔を見た。

『答えは、こうだった。私の台帳では、二人。…台帳の外については、計算できません』

「台帳の外」

『本部は、自分の作ったものしか数えていない。そういうことだろう』

提督は、南の空を見た。都の方角だった。都の東の、塔の跡の、さらに下。

『都に残ったあの子どもが、私にも話した。都の下のものは、蓋を閉めた者のことを覚えている。この系統と、同じ匂いがしたと』

「…ああ」

『本部の台帳の外に、同じ血がいたことになる。三百年より前に』

提督は、立ち上がった。

『数は出ない。出ないが、訊きに行く相手は、一人しかいない』

マーロウは、畑を見た。

ウィラが、父親の横で、灯りを動かしていた。一が、自分の輪の中で、寝る支度をしていた。ミラベルが、東の列の端で、剣を膝に置いて座っていた。

蓋まで、千九百五十メートル。

トンは、すぐでなくていい、と言った。三百年待ったから、待つのは平気なのだと。

マーロウは、三百年も待てなかった。

二十年も、待てなかった。

第十二章 了