海壁

第二十七章

十日目

挿絵:十日目

その朝、ケイルは、また牢の格子の前に座っていた。

パンは、二つ持ってきた。一つを格子のあいだから差し入れて、もう一つを自分でかじった。

グレゴールは、今度は、すぐに受け取った。

「余ったのですか」

『余った』

「二つも」

『二つとも余った』

グレゴールは、しばらくパンを見ていた。それから、かじった。

二人とも、しばらく黙って食べた。

「今夜、塔で何かあるのでしょう」

グレゴールが、パンを見たまま言った。

「牢の兵が、朝から落ち着きません。近衛が、塔に集められています」

『明日の朝は、来られん』

「どこへ行くのです」

『弟と、塔だ』

グレゴールが、顔を上げた。

「翼のない者が、塔へ行って、どうするのです」

ケイルは、パンの最後の一切れを口に入れた。

『下から見る。おまえが、昔やっとったのと同じだ』

グレゴールは、何も言わなかった。

ケイルが立ち上がって、階段へ歩きだしたとき、格子の奥から、低い声がした。

「…右を畳む癖は、直したほうがいい。将軍」

ケイルは、足を止めた。

「立て直すとき、あれで一拍遅れます。あなたのその癖を、私は何百回も下から見ました」

『おれには、もう畳む翼がない』

「知っています」

ケイルは、振り返らずに、階段を上がっていった。


議場の下の部屋で、マーロウは寝台に座っていた。

十日目の朝だった。

十日目は数えない、と言った。だから九日で戻れ、と。

数えないと決めた日が来て、マーロウは、自分が何をすればいいのか分からなかった。

天井の染みを見た。

窓の足首を見た。

ミラのいない床を見た。

何も数えないでいると、一日が、どこにも引っかからずに流れていった。拾い屋になってから、数えずに過ごした日は一日もなかった。死体の数。服の数。銅貨の数。粒の数。

数えないのは、思っていたより、ずっときつかった。

昼過ぎに、マーロウは、声に出して言った。

「…やめだ」

十日目は、数えない。それは守る。

そのかわり、数え方を変える。

あいつが帰ってきた日を、一日目にする。そこから、今日もいた、と数える。

ウィラが、去年そう言った。数えて、毎日、今日もいた、って思えばいい、と。

マーロウは、寝台に仰向けになった。

一日目は、まだ来ていなかった。

来ていないものを待つのは、数えるのとは違った。違ったが、さっきよりは、少しだけ楽だった。


夕方、兵が六人、部屋に入ってきた。

『議長の命令だ。塔へ来い』

「血は、もう取ったろ」

『一度で開かなければ、もう一度取る。そのために、そばに置いておけとのことだ』

両腕を取られた。今度は、振りほどかなかった。見張る相手が、この部屋にはもういない。守る相手も。

都の通りを、兵に囲まれて歩いた。角ごとの井戸の前に、夜なのに列ができていた。桶を抱えた子どもがいた。

三重の壁を、三つくぐった。

いちばん外の壁の、さらに外に、塔が立っていた。

鉄の骨の塔のまわりに、灯りが何十も点いていた。グリフォンを連れた近衛が、百人はいた。塔の根元に、太い針金を巻いた木の胴が据えてあった。

輿の上に、議長が座っていた。

技師長が、ガラスの小瓶を、針金の先の小さな鉄の籠に入れていた。

マーロウの血が、四滴。蝋の栓の下で、灯りを受けて黒く見えた。


北のほうを見た。

歩いて一時間ほど先の野に、光が丸くなっていた。ドン。半分の高さのまま、膝を抱えて。

その横に、小さな影があるはずだった。見えなかった。見えなかったが、いると分かった。

『…下ろせ』

議長の声は、細かった。

技師長が、木の胴の取っ手に手をかけた。

一度、マーロウのほうを見た。

それから、回しはじめた。

針金が、管の口へ吸い込まれていった。きしむ音が、夜の野に規則正しく鳴った。

技師長が、声に出して数えた。

「百メートル」

足の下で、音がした。

トン、トン、トン。

小さく、速かった。何度も。

怒っている音ではなかった。

マーロウには、それが、怖がっている音に聞こえた。

「二百メートル」

夜明けまで、あと六時間だった。

第二十七章 了