海壁

第二十一章

議場の下

挿絵:議場の下

議場の下の部屋は、思っていたより広かった。

寝台が一つ。机が一つ。壁の高いところに、手のひらほどの窓が一つ。窓からは、通りを歩く人の足首だけが見えた。

扉の外には、兵が二人。昼と夜で交代する。

客として置く、と議長は言った。客の部屋に、外から鍵はかけない。そう思っていたが、かけてあった。

ミラは、寝台の足元の床に座っていた。

朝からずっと、マーロウを見ていた。

「…そんなに見て、飽きないか」

『飽きない』

「何が面白い」

『面白くない。見てる』

ミラは、金属の目を一度瞬いた。

『ミラベルに、言われたから』

マーロウは、寝台に仰向けになった。

天井の石に、染みが一つあった。昨日も見た。

四日目、と声に出さずに数えた。

今日も、いなかった。


昼に、兵が椀を二つ運んできた。

豆と、薄い汁。それから、水が一杯。

水は、小さな木の杯に、底が見えるほどしか入っていなかった。兵は、杯を机に置くとき、こぼさないように手を止めてから置いた。この都では、それだけの値打ちがあるのだと分かった。

マーロウは、椀を一つ、ミラの前に置いた。

ミラは、椀を見て、それからマーロウを見た。腕がない。

「…ああ」

マーロウは、匙を取った。豆をすくって、ミラの口もとへ持っていった。

ミラは、口を開けた。

一口。二口。

ミラベルが作業場の火のそばでやっていたのと、同じだった。自分がやる羽目になるとは思わなかった。

『ミラベルと、同じ』

「何がだ」

『口に、入れてくれるの。同じ、やり方』

マーロウは、匙を止めた。

それから、もう一口すくった。

「…あいつのほうが、上手いだろ」

『ミラベルは、ときどき、自分で食べる』

マーロウは、吹き出しそうになった。豆を三つ取る女だ。取る相手がいないと、ミラの椀から取るらしい。


夜、扉の鍵が回った。

入ってきたのは、議長だった。

一人だった。兵は、扉の外に残した。杖をついて、背を丸めて、手が震えていた。

エドガー・マルムは、机の横の椅子に、時間をかけて座った。

『起きていたか』

「起きてる」

『わしもだ。年寄りは、夜が長い』

議長は、机の上の空の杯を見た。

『水は、飲んだか』

「飲んだ」

『あれで、一人の一日ぶんだ。都では』

マーロウは、杯を見た。底が見えるほどの量だった。

「…足りないだろ」

『足りん。足りんから、みんな黙っておる』

議長は、震える手を膝の上で組んだ。

『海壁の街には、草が生えたそうだな』

「誰に聞いた」

『本部だ。あの機械は、訊けば何でも答える』

「生えた。去年の夏だ。海から来たやつが通った跡に」

『それが、ドンか。あの子どもがつけた名前の』

「そうだ」

議長は、しばらく黙っていた。

『弟の名は、ヨナスといった』

唐突だった。

『わしより三つ下だ。泥を絞った夏、ヨナスは六つで、わしは九つだった。絞った滴を、ヨナスの口に先に入れればよかった。入れなかった。自分が先に吸った』

議長の手の震えが、強くなった。

『七十年、そのことを考えておる。だから、水が要る。都の子どもが、誰も泥を吸わずに済む水が』

マーロウは、何も言えなかった。

言えないまま、一つだけ言った。

「…東の哨所に、麦を作ってる男がいる」

『麦』

「オークが水を通して、人間は乾いた側で蒔く。人間は、一人も水に浸からない。それで、穂がついた」

議長の濁った目が、マーロウを見た。

『蓋を開けずに、か』

「開けずにだ。種は、おれたちの荷車に積んである」

議長は、長いこと、何も言わなかった。

それから、杖を支えに立ち上がった。

『麦の話は、覚えておく』

「覚えとくだけか」

『議会は九人だ。わし一人では、何も決まらん。それに、井戸が枯れなくなっても、水が増えたわけではない。麦が実るのは、来年だ』

議長は、扉のところで振り返った。

『剣が遅れるなら、剣を使わずに蓋を開ける方法を、本部に訊く。議会は、もうそう決めた』

扉が閉まった。鍵が回った。

ミラが、床からマーロウを見上げていた。

『…あの人、泣いてた?』

「泣いてない」

『泣いてるみたいな、声だった』

マーロウは、袋から粒を一つ出して、ミラの口に入れた。袋の中は、およそ二百七十五になった。

それから、寝台に横になって、天井の染みを見た。

剣を背負って帰ってくる女のことを考えた。

約束は九日。あと五日だった。

第二十一章 了