第二十三章
鍵穴

六日目の夜、上の階が騒がしかった。
足音が、何度も廊下を行き来した。扉が開いて、閉まった。誰かが、紙を読み上げる声がした。言葉までは聞き取れなかった。
ミラが、床の上で顔を上げた。
『上、うるさい』
「ああ」
『いい、うるさい? 悪い、うるさい?』
マーロウは、天井を見た。
「…分からん」
分からないまま、朝になった。
七日目の朝、鍵が回った。
入ってきたのは、議長と、兵が四人と、油で黒い手袋の男だった。東の塔の技師長だ。
技師長は、布に包んだものを、机の上に置いた。
布を開くと、折れた鉄の刃が三本あった。掘削の管の先につける刃だ。先が潰れて、平たくなっていた。
潰れた先に、細い線が写っていた。
線が、輪になっていた。輪の一か所だけ、線が途切れていた。
「…錆びない金属の線だな」とマーロウは言った。
本部の壁にも、坑の梯子にも、ミラベルの左腕にも、同じ線が走っている。作りたての粒を暗がりで深い水に浸すと、同じ模様が浮かぶ。
『線は、どこの金属にもある』
議長が、細い声で言った。
『だが、輪になって途切れておるのは、蓋の真ん中だけだ。本部の金属には、ない形だそうだ』
議長は、技師長を見た。技師長が、目を伏せたまま続けた。
「本部の答えです。昨夜、来ました」
技師長は、紙を読んだ。
「輪の途切れた場所は、鍵穴である可能性が高い。神の血の結び目は、途切れた線をつなぐ形をしている。血をひとしずく落とせば、線がつながり、蓋は開く。剣は要らない」
部屋が、静かになった。
マーロウは、自分の手のひらを見た。
蓋を開ける鍵は、北の街の剣ではなかった。この部屋の寝台の上に、四日前から寝ていた。
「開けたら、下のやつが怒る」
マーロウは言った。
「下には、光に当たったら死ぬ子どもが山ほどいる。あんたも議場で聞いたろ」
『聞いた』
「それでもか」
『見えない連中だ』
議長は、議場で言ったのと同じことを言った。
ただ、今度は、目がマーロウから少しずれていた。
『六人が、手を上げた。わしは、上げなかった。上げなかったが、止めることもできん』
「麦の話は」
『した。来年の話をするなと言われた』
議長は、兵に顎で合図をした。
兵が二人、マーロウの両腕をつかんだ。
マーロウは、振りほどこうとした。三人目の兵が、肩を押さえた。
ミラが、床から跳ね起きて、マーロウの前に入った。腕のない体で、兵の胸に肩からぶつかった。
兵が、よろけた。四人目の兵が、ミラの首の後ろをつかんで、壁に押しつけた。
「触るな、そいつに!」
マーロウの声が、部屋じゅうに響いた。
兵の手が、止まった。
マーロウは、息を一つ吐いた。
「…手は、出す。だから、そいつを放せ」
議長が、兵に手を振った。ミラが、壁から離された。
マーロウは、自分から左手を開いて、机の上に置いた。
技師長が、小さな刃物で、手のひらを浅く切った。痛みはなかった。痛みは、去年から感じない。
血が、手のひらに溜まった。
技師長は、それをガラスの小瓶に受けた。三滴。四滴。小瓶の口に、蝋で栓をした。
切り口は、もう塞がりはじめていた。
議長と兵が出ていった。
技師長だけが、扉の前で足を止めた。
手袋を外して、額を拭いた。
『…管の中の棒を、全部抜かなければなりません。千九百五十メートルぶんです。三日かかります』
「それで」
『三日後の夜に、この小瓶を針金で下ろします。夜明けには、底に着きます』
「なんで、おれに言う」
技師長は、しばらく黙っていた。
『三年、掘ってきました。蓋に当たってから、管が夜も鳴ります。私には、止められません』
技師長は、手袋をはめ直した。
『ですが、いつ下ろすかを言うことは、できます』
扉が閉まった。鍵が回った。
マーロウは、ミラの横に膝をついた。
「首は」
『平気。痛く、ない』
「ミラ。走れるか」
『走れる』
「提督の家だ。二つ目の壁の内側。ロズリンと、ドラグと、ケイルがいるはずだ。今のを全部伝えろ。三日後の夜、小瓶を下ろす。夜明けに底に着く」
ミラは、動かなかった。
『…見てる、仕事』
「見るのは、もういい」
『ミラベルに、言われた』
「ミラベルには、おれが謝る」
マーロウは、ミラの目を見た。自分の女と同じ顔の、瞬きする金属の目を。
「仕事を変える。伝えろ。それが、今のおまえの仕事だ」
ミラは、長いことマーロウを見ていた。
それから、頷いた。
昼、兵が椀を運んで扉を開けた。
開いた隙間を、白い髪がすり抜けた。兵が振り向いたときには、もう階段の上だった。
「おい!」
追いかける足音が、上へ遠ざかった。遅かった。腕のない刃に、人の足は追いつけない。
マーロウは、寝台に腰を下ろした。
部屋が、急に広くなった気がした。見ている目が、どこにもなかった。
七日目。
今日も、いなかった。
第二十三章 了