海壁

第十六章

死んだ男の議会

挿絵:死んだ男の議会

議場は、三重の壁のいちばん奥にあった。

丸い部屋だった。壁に沿って、椅子が九つ。真ん中に、石の床が円く空いていた。そこに立たされる者は、九人全員から見下ろされる。

マーロウは、その円の中に立った。

横に、提督。後ろに、縛られたグレゴール。ケイルとドラグとロズリンは、入口の脇に立たされた。ミラは、止められても聞かずに、マーロウの足元に座った。

ニコは、塔の横に残った。巨人のそばを離れないと言った。


正面の椅子に、老人が座っていた。

人間だった。痩せて、背が曲がっていた。白い髭が胸まであった。目は薄い茶色で、濁っていた。膝の上で組んだ手が、ずっと小さく震えていた。

議長、エドガー・マルム。提督が、来る途中でそう教えた。

『それが、神の血か』

議長の声は、細かった。

「マーロウ・ケインだ」

『名前は、訊いていない』

議長は、マーロウを上から下まで見た。

『普通の男だな』

「よく言われる」


提督が、一歩前に出た。

手に、石の粉で数字を書いた板を持っていた。

「議長。数を読んでいただきたい」

『読まん』

「昨夜から今朝まで、枯れた井戸は、ゼロです」

議長の手の震えが、一瞬だけ止まった。

「ゼロです。この十日で七本、今月で十一本枯れた井戸が、昨夜から一本も枯れていません。巨人が、叩くのをやめたからです」

『なぜ、やめた』

「海の声の子どもが、下のものと話をさせたからです」

提督は、板を掲げた。

「下のものは、閉じ込められていたのではありません。蓋は、光から守るための蓋です。下には、光に当たれば死ぬものが住んでいる。下のものは、それを守っている。蓋を切れば、下のものは、守るために戦います」


ケイルが、入口の脇から、声を上げた。

「死んだ男に、一言だけ言わせろ」

椅子の九人が、ざわめいた。

「昨夜、下のものが一度だけ地面を叩いた。子どもが頼んで、一度だけだ。塔の根元が、跳ねた」

ケイルは、翼のない背中で、まっすぐ立っていた。

「一度でだ。怒って百度叩いたら、都の三重の壁は、三重の瓦礫になる。死んだ男の言うことが信じられんなら、そこの近衛長に訊け。あいつは、その揺れで落ちた」

グレゴールは、縛られたまま、目を伏せていた。否定はしなかった。


議長は、長いこと黙っていた。

それから、震える手で、椅子の肘掛けを撫でた。

『わしは、子どもの頃、井戸の底の泥を吸った』

細い声だった。

『村の井戸が枯れた夏だ。泥を布で絞って、滴を吸った。弟は、吸う力もなかった』

誰も、口をきかなかった。

『わしは、七十年、水を待っていた。本部が言った。都の真下に、海があると。三年、掘らせた。やっと来た、と思った』

「下の連中が死ぬと分かっていても、か」とマーロウが言った。

『見えない連中だ』

議長は、マーロウを見た。濁った目で、まっすぐ。

『わしの弟は、見えていた』

マーロウは、言い返せなかった。この老人の言い分は、分かった。分かることと、許せることは、別だった。


『議決を取る』

議長が言った。

『一つ。北の船が剣を持ち帰りしだい、蓋を切る』

九人のうち、六人が手を上げた。

『二つ。提督ヴァレリア・コルトは、議会の船を私に用いた罪で、今日から牢に入る』

七人が手を上げた。

提督は、表情を変えなかった。板を、ロズリンに渡した。

「持っていろ。数を消すな」

『…消しません』

議長が、続けた。

『三つ。神の血は、客として、議場の下の部屋に置く。剣が届くまでだ』

八人が、手を上げた。

議長は、最後に、ケイルを見た。

『四つ。死んだ男は、死んだままにしておく。何を言っても、記録には残さん』

ケイルは、笑った。

「助かる。生き返ると、また葬式を出されるからな」


兵が、提督の腕を取った。

提督は、引かれる前に、マーロウの横で足を止めた。

低い声で言った。

『北の船は、あと三日で街に着く。私の船は、それより一日早い』

「知ってる」

『剣が守られれば、議決の一つ目は、紙の上だけになる』

提督は、前を向いたまま、付け足した。

『おまえの女を信じる。数ではなく』

提督は、連れていかれた。

マーロウは、兵に囲まれた。

足元で、ミラが立ち上がった。兵の一人が押しのけようとした。ミラは、腕のない体で踏ん張って、動かなかった。

『見てる。ずっと、見てる。そう言われた』

兵が、困った顔で、議長を見た。議長は、面倒そうに手を振った。

ミラは、マーロウと一緒に、地下へ下りる階段に入った。

階段を下りながら、マーロウは、声に出さずに数えた。

三日目。

今日も、いなかった。

第十六章 了