海壁

第五章

前と後ろ

挿絵:前と後ろ

白い女が、消えた。

次に見えたときには、マーロウの目の前にいた。

刃が、腰の袋へ来た。

その間に、ミラベルが入った。

金属と金属が当たる音がした。火花が散った。

ミラベルの体が、後ろへ滑った。三メートル。

砂が、ミラベルの足の下で鳴った。マーロウは、それを初めて聞いた。

『…重っ』

白い女は、止まらなかった。二本の刃が、左右から交互に来た。ミラベルは、一本で受けた。受けるたびに、半歩ずつ下がった。

「ミラベル!」

『下がって、坊や! 袋持って、下がって!』

「投げてやればいいだろ、こんなもの!」

『だめ! 食べたら、もっと速くなる!』

ミラベルは、受けながら、白い女の右腕に刃を叩きつけた。

高い音がして、刃が弾かれた。

『やっぱり! この腕、本部のだ! あたしの刃じゃ切れない!』


ドラグが、横から来た。

崩れた屋根の梁を、両腕で抱えていた。大人三人ぶんの長さの梁を、白い女の背中へ振り下ろした。

梁が、空中で三つに分かれた。

白い女は、振り向きもしなかった。左の刃を、後ろへ一度振っただけだった。

続けて、刃の腹がドラグの胸を打った。百三十キロを超える体が、宙に浮いて、瓦礫の山に突っ込んだ。

「ドラグ!」

ブリンが、右の拳で殴りかかった。拳は、空を打った。白い女はもう、そこにいなかった。

ケイルが、ウィラとニコの襟首をつかんで、荷車の陰へ引きずり込んだ。シビルは、ロズリンの前に立った。四本の足を開いて、低く。

白い女が、ミラベルに戻った。

刃が、ミラベルの肩を裂いた。黒い液が、散った。

ミラベルは、瓦礫に叩きつけられた。

白い女は、ミラベルを見下ろしもせずに、マーロウのほうへ向き直った。

強かった。

七隻の日のミラベルより。翼のあった獅子の将軍より。母を除けば、マーロウがこれまでに見た、どんなものよりも速かった。


マーロウの前に、背中が二つ立った。

背骨でつながった二人。前を向いたヨルンと、後ろを向いたユラン。

「前は、おれが見る」とヨルンが言った。

『後ろは、おれだ』とユランが言った。

「おまえら、下がれ!」

マーロウが叫んだ。双子は、動かなかった。

ユランが、肩越しに、瓦礫の中のミラベルへ声を張った。

『二年前、おれたちはつなげられた。前を見る者と後ろを見る者がいれば、刃は当たらない。そういう計算だった』

瓦礫が崩れて、ミラベルが立ち上がった。

ユランは、続けた。

『当たったけどな、あんたに。…今度は、あんたに当てさせない』

白い女が、踏み込んだ。

「右から来る!」とヨルンが叫んだ。

ミラベルの体が、声より先に左へ流れた。刃が、ミラベルのいた場所を斬った。

『次、後ろ! 低い!』

ミラベルが跳んだ。足の下を、刃が抜けた。

「左、二つ続けて!」

『そのあと、上からだ!』

一つ、二つ、三つ。ミラベルは受けなかった。全部、かわした。

双子の声が、前と後ろから、途切れずに飛んだ。前を見る目と、後ろを見る目が、ミラベルの目の代わりになっていた。


荷車の陰から、ロズリンの声がした。

「七つ目のあと、必ず左へ跳びます!」

帳面を開いていた。震える手で、線を引いていた。

「さっきから、三回とも同じです! 七つ振ったら、左へ!」

ロズリンは、数えていたのだ。刃が振られるたびに、一本ずつ線を引いて。

その横で、ケイルが身を乗り出した。

『つなぎ目だ!』

よく通る声だった。将軍の声だった。

『腕と肉のつなぎ目を狙え! 錆びん金属でも、つないであるのは肉だ! おれの翼も、そこから腐った!』

マーロウは、白い女の肩を見た。

金属の腕と、白い肌の境目。そこから、薄い光が漏れていた。粒が漏れるときの光だった。

「…燃やすのが下手なんだな、こいつ」

マーロウは、思わず口にしていた。

「食ったそばから、漏れてるんだ。だから、いつまでも腹が減ってる」


五つ。六つ。

ヨルンとユランが、交互に叫んだ。ミラベルは、かわし続けた。

七つ。

白い女が、左へ跳んだ。

ミラベルは、もうそこにいた。

跳んだ先に、先回りしていた。

刃の根元が、白い女の右肩の、つなぎ目に当たった。今度は、弾かれなかった。刃が、肉に沈んだ。

白い女が、初めて声を上げた。

ミラベルは、体ごとぶつかって、白い女を地面に押し倒した。膝で左腕を踏み、刃を右肩のつなぎ目に当てたまま、止まった。

あと指一本ぶん押せば、腕が落ちる。

白い女が、下から、ミラベルを見上げた。

同じ顔だった。

金属の目が、ぱちりと瞬いた。ミラベルの左目は、瞬きをしないのに。

『…おなか、すいた』

小さな声だった。

ミラベルの刃が、震えた。

「あんた」

ミラベルの声も、震えていた。

「名前は」

『ない』

「そっか」

ミラベルは、息を一つ吸った。

「じゃあ、あげる」

第五章 了