第二十五章
牢の数

都の牢は、議場の裏の、さらに下にあった。
オルヴァン・ケイドが、前脚で石の階段を下りていった。後ろに、ロズリンと、ミラと、ケイル。
ケイルは、夜明けに塔の北の野から戻ってきたところだった。ニコの伝言を持っていた。トンは、話を聞いて、震えていた。地面の下から返ってくる音が、ずっと小さく、速かった。
番の兵が、オルヴァンを見て、槍を下ろした。
「広間の番が、牢に何の用だ」
『罰を受けに来た』
オルヴァンは、平らな声で言った。
『翼を下ろした罰が、まだ決まっていない。決まる前に、ここの寝床を見ておきたい』
兵は、顔を見合わせて、通した。
罰されるのには慣れている、とこの男は言った。慣れている者の嘘は、よく通った。
提督は、いちばん奥の牢にいた。
石の床に、背筋を伸ばして座っていた。鎧は取られて、薄い灰色の服を着ていた。短い赤い髪だけが、牢の暗さの中で色を持っていた。
壁に、爪で引いた線が並んでいた。数字だった。
「…書いておられたのですか」とロズリンが言った。
『板を取り上げられたからな。壁しかない』
提督は、ロズリンの帳面を見た。
『消していないか』
「写しました。全部」
『なら、いい』
ロズリンは、ミラの話を、そのまま伝えた。鍵穴。血。小瓶。三日後の夜。
提督は、一度も口を挟まなかった。聞き終わってから、壁の数字を一つ、指でなぞった。
『議会の本当の狙いは、蓋の向こうの水だけではない』
「下のもの、ですか」
『そうだ。本部は、議会にこう言ったはずだ。蓋が開けば、下のものは、守るために上がってくる。上がってきたものを捕まえれば、粒を水に戻すものが手に入る』
「捕まえる、って。どうやって」
『巨人を吸った槍だ』
提督は、壁の端の二つの丸を叩いた。
『あの日、私から逃げた二隻が、都にいる。議会が預かった。あの日、神の血の女に鎖を切られた。だから今度は、新しい槍を、鎖で吊らずに、船の腹に直に据えてある』
「鎖がないなら」
『槍の先は、本部から買った錆びない金属だ。水の中の星を吸うには、水の中で錆びない先が要る。神の血の女の刃では、槍そのものは切れない』
ロズリンは、帳面に書いた。書く手が、速くなっていた。
「閉める方法は、ご存じですか」
『知らん。私は数を出すだけだ。数は、訊かなければ出ない』
オルヴァンが、牢の格子の前に、灰色の布の包みを置いた。
開くと、手のひらほどの硝子の板が出てきた。
「議会の書記の部屋から、持ってきた」
オルヴァンは、目を伏せた。
「本部に字を送る板だ。夜は、誰もいない。書記がこれに指を走らせるのを、一年、毎日見ていた」
提督が、初めて、少しだけ笑った。
『広間の番が、盗みか』
「罰が一つ増えるだけだ」
オルヴァンは、硝子に前脚の指を当てた。
ロズリンが、言葉を選んで、口にした。オルヴァンが、そのとおりに指を動かした。
開いた蓋を、閉める方法は。
しばらくして、白い字が浮かんだ。
同じ血を、輪の内側に、下から当てる。輪は元に戻り、蓋は閉じる。上からは届かない。
開きはじめた蓋は、開ききるまで止まらない。およそ半日。
議会からは、閉める方法は訊かれていません。
ロズリンは、それを三度読んだ。
「…下から」
『誰が、下へ持っていく』と提督が言った。
ロズリンは、答えなかった。答えは、もう分かっていた。
蓋の下にいるのは、一人だけだった。
ケイルは、その間、隣の牢の前にいた。
中に、グレゴール・ヴァーンが座っていた。背中の翼は、畳んだまま、付け根の縫い目に古い布が巻いてあった。布は、ずれていた。
ケイルは、格子のあいだから、パンを一つ差し入れた。
グレゴールは、それを見て、それからケイルを見た。
「…死んだ方が、パンを配りに来るとは」
『死んだ男は、腹が減らん。余った』
グレゴールは、パンを取った。
ケイルは、格子の前に腰を下ろした。
『縫い目が、またずれとる』
「直す者がいません」
『背中を向けろ』
グレゴールは、しばらく動かなかった。それから、黙って背中を格子に寄せた。
ケイルは、格子のあいだから手を入れて、ずれた布をほどいて、巻き直した。きつく。昔、翼があったころ、自分の付け根に毎晩そうしていた巻き方で。
「…将軍は、昔から、巻くのが下手でした」
『うるさい』
「きつすぎるのです。朝、痺れていました」
『痺れるくらいでいいんだ。緩むよりな』
グレゴールは、背中を向けたまま、パンを一口かじった。
「なぜ、あの夜、翼を取らなかったのです。押さえていたのに」
ケイルは、布の端を結んだ。
『翼は、取るもんじゃない』
「あなたは、取られました」
『取られた。だから言う』
グレゴールは、それきり黙った。黙って、パンを最後まで食べた。
階段の上で、ロズリンが呼んだ。
ケイルは、立ち上がった。
「…また、来るのですか」
格子の奥から、声がした。
ケイルは、振り返らなかった。
『パンが余ったらな』
第二十五章 了