第三章
同じ顔

光の柱に入ると、車輪が地面から離れた。
荷車ごと、光の中を上がっていく。馬が二頭とも、いなないて前脚を上げた。ウィラが御者台から身を乗り出して、首を叩いた。
「大丈夫。大丈夫だってば。落ちないから」
馬は、震えながら脚を下ろした。
甲板に着いたとき、ウィラの手は汗で濡れていた。
ニコは、船の縁から、下に残った巨人を見ていた。半分の高さの光が、暗い地面の上で小さくなっていく。
『三日で戻るって、言ってきた』
誰にともなく、ニコは言った。
船が南西へ回ると、下に灯りが広がった。
共和国の都だった。
丸い壁が三重に巡っている。内側の輪ほど、灯りが白い。いちばん外の輪だけで、海壁の街がまるごと三つは入りそうだった。
東の外れに、鉄の塔が一本立っていた。塔の先で、赤い灯が一つ、点いたり消えたりしていた。
千九百五十メートルで止まっている、と本部は言っていた。その下に、厚さ四十メートルの蓋がある。
マーロウは、塔から目を離した。
手すりのところで、ケイルと提督が並んでいた。二人とも、都を見下ろしていた。
「なぜ、刃を作った」とケイルが訊いた。
『本部は、帝国にも刃を売る。帝国が刃を持って、都が持たなければ、数で負ける』
「帝国は、刃を持っとらん。持っとるのは、海壁の街だ」
『同じことだ。地図の上では、あの街は帝国だ』
「…あの双子をつなげたのも、数か」
『おまえが許した』
ケイルの手が、手すりを握りしめた。
『私は、数を数える。おまえは、数えるのをやめた。だから、死んだことになった』
マーロウは、少し離れて聞いていた。
この女を好きになることはない、と思った。ただ、言っていることの筋は通っていた。それが、いちばん嫌だった。
「残りの二本は、どこにいる」とマーロウは訊いた。
『作業場の地下に封じてある。鉄の扉を三枚、重ねた』
「壊した一本は、蔵を狙ったんだろ」
『蔵だけならいい』
提督は、南の暗がりを見た。
『地下の扉の一枚目が、内側に曲がっていた。上から叩いたのか、下から叩いたのかは、分からない』
ミラベルは、船尾に一人で座っていた。膝を抱えて、左手を見ていた。
マーロウは、隣に座った。
『ベルのときはね、平気だったの』
「そうか」
『ベルは、あたしの顔だけど、静かだったから。でも、今度の子たちは、技師を殺した』
ミラベルは、右手の指を、一本ずつ折った。
『あたしも、壊したよ。最初の一年に、九人。坊やが教えてくれた』
「言ったな」
『あたしと同じ顔で、あたしと同じことしてる子がいる。壊すって言ったけど、あたし、自分の顔、壊せるかな』
マーロウは、しばらく答えなかった。
「九人壊したあと、おまえはどうなった」
『爺さんに名前もらった。毎朝、おはようって言われた』
「それで」
『それで、止まった』
「なら、順番は同じだ。名前が先だ。壊すかどうかは、そのあとで決めろ」
ミラベルは、長いことマーロウの顔を見ていた。
『…うん』
それから、急に、腕にしがみついてきた。
『ねえ坊や。あたしと同じ顔が三つ並んでたら、間違えない?』
「間違えない」
『なんで言い切れるの』
「おまえは、おれの椀から豆を三つ取る」
ミラベルは、きょとんとした。それから、吹き出した。
『豆で見分けるの!?』
「いちばん確かだ」
『やだ。もっとこう、目がきれいとか、あるでしょ』
「目は同じなんだろ」
『同じだけど!』
ミラベルは、腕を抱えたまま、額をマーロウの肩に押しつけた。
『じゃあ、約束して。あの子たちに、触らないで』
「なんでだ」
『あたしの顔なのに、あたしじゃないんだもん。坊やがあたしの顔に触るのは、あたしのときだけ。ほかの顔は、だめ』
「面倒くさいな」
『面倒くさくていいの。好き。愛してる。だから、触らないで』
マーロウは、溜め息をついた。
「…左手、出せ」
『え』
「数えるって言ったろ」
ミラベルは、おずおずと左手を出した。月の光で、金属の指が白く光った。
マーロウは、一本ずつ、自分の指で押さえた。
「一。二。三」
四本目で、止まった。爪の先ひとつぶんだけ、まだ内側へ曲がっていた。
「…惜しいな」
『惜しいって何! ほとんどまっすぐじゃん!』
「全部って言った。まだ全部じゃない」
ミラベルは、頬を膨らませた。
『じゃあ、次は全部まっすぐにしとく。そしたら、両手で坊やの顔、挟むからね』
「挟んでどうする」
『キスする。…今もして』
「船の上だぞ」
『船の上でも』
マーロウは、あたりを見た。甲板の兵は、みんな背を向けていた。遠くで、ロズリンが帳面をぱたんと閉じた。
短く、口をつけた。
離れてから、マーロウは言った。
「おまえの顔が百あっても、おれが探すのは一つだ」
『どれ』
「指が一本だけ惜しい、左手のやつだ」
ミラベルは、顔を膝に埋めた。埋めたまま、足をばたばたさせた。
夜明けの少し前に、船が高さを下げはじめた。
都の南。低い丘のあいだに、黒い煙が細く上がっていた。
作業場だった。石の建物が十いくつ並んでいたはずの場所が、半分、瓦礫になっていた。屋根が、内側から持ち上げられたように割れていた。
瓦礫の真ん中に、焚き火が一つあった。
その横で、大きな背中が立ち上がって、こちらを見上げた。
隣では、肩に犬を乗せた女が、右手を大きく振っていた。
第三章 了