第十三章
管の音

東の塔は、いちばん外の壁の、さらに外に立っていた。
鉄の骨を組んだ塔だった。高さは八十メートル。掘削地の塔が六十メートルだったから、それより二十メートル高い。
塔の根元に、太い鉄の管が一本、地面に刺さっていた。
千九百五十メートル。管は、そこまで下りている。その下に、厚さ四十メートルの蓋がある。
塔のまわりに、兵が立っていた。グリフォンを連れた兵が、二十人ほど。
『議会の近衛だ』と提督が言った。『今日は、私の紙で通る。明日は分からん』
技師長が、小屋から出てきた。人間の男で、手袋が油で黒かった。
「提督。掘削は止まったままです。蓋に当たってから、刃が三本折れました」
『知っている。今日は、掘りに来たのではない』
提督は、ニコを前に出した。
技師長は、十三の子どもを見て、眉を寄せた。
「…何をさせるんです」
『聞かせる』
ニコは、管の前に立った。
鉄の管は、ニコの胴より太かった。表面が、かすかに震えていた。
ニコは、両手を、管に当てた。
目を閉じた。
長いこと、ニコは動かなかった。
マーロウは、横で待った。ミラが、マーロウの横で、マーロウを見て待っていた。
風が、塔の骨を鳴らした。
ニコの唇が、動いた。
『…うん。…うん。聞いてる。ぼく、聞いてるよ』
ニコの肩が、震えはじめた。
『…違う。違うよ。開けに来たんじゃない。ぼくは、違う』
ニコが、目を開けた。
顔が、濡れていた。
「何て言ってる」
『開けないで、って』
ニコは、管に手を当てたまま言った。
『下に、子どもがいっぱいいるんだって。目に見えないくらい小さい子。ずっと暗いところで生まれて、暗いところで死んで、また生まれる。何百年も』
「子ども」
『光が来たら、みんな死ぬって。だから、上に蓋があるんだって。誰かが、ずっと前に、上から閉めてくれたんだって』
ロズリンが、帳面を開いたまま、息を止めた。
『…深い海の暗がりの生き物です』
「前に、シビルが言ってたやつか」
『はい。日の光を一度も浴びない水でしか生きられない。日に当たると、一日ほどで死ぬ』
ロズリンは、鉄の管を見た。
『下の海は、光が一度も届いたことのない海です。その蓋は、閉じ込めるための蓋ではありません。光から守るための蓋です』
提督が、管を見下ろした。
「では、下のものが怒っていたのは」
『閉じ込められていたからではありません』
ロズリンは、はっきり言った。
『開けられるのが、怖かったからです』
誰も、しばらく口をきかなかった。
技師長が、手袋を外した。外した手で、額を拭いた。
「…蓋に当たった日から、管が鳴るんです。夜も。誰も理由が分からなかった」
『三年、掘ってきたな』と提督が言った。
「三年です」
『この管の穴から、光は入るのか』
「千九百五十メートル下までは、届きません。ただ、蓋を切れば、上の水と空気が下の海に混ざります。光が届かなくても、下の水は、もう暗がりだけの水ではなくなります」
提督は、黙った。
それから、壁の数字を読むときと同じ顔で、言った。
『数が出た。蓋は、割ってはいけない』
そのとき、塔の上から、羽ばたきの音がした。
マーロウは、見上げた。
塔のいちばん上の骨に、男が一人、しゃがんでいた。
背中に、翼があった。金色がかった茶色の、グリフォンの翼。付け根に、太い縫い目の跡があった。胸は厚く、腕は太い。短く刈った灰色の髪。鷲のような鉤鼻。目は、細くて黄色かった。
男は、何も言わずに、こちらを見下ろしていた。
「誰だ」
『近衛長だ』と提督が言った。『グレゴール・ヴァーン。今の話を、全部聞いていた』
男は、ゆっくり立ち上がった。
翼を一度だけ打って、都のほうへ飛んでいった。風が、塔の下の砂を巻き上げた。
ケイルが、翼のない背中を丸めて、それを見送っていた。
『…あいつは、おれの副官だった。おれがいたころは、翼はなかった』
マーロウは、ケイルの横に立った。
「副官ってのは、どういう男だ」
ケイルは、グレゴールが消えたあたりの空を見ていた。
『三年前、おれが都に来たとき、帝国から来た男の後ろに立ちたがる兵は、一人もおらんかった。あいつだけが立った。おれより年上のくせに、おれを兄貴と呼んだ』
「兄貴」
『飛び方を教えた。地面の上でな。あいつには翼がなかったから、おれが飛ぶのを下から見て、同じ動きを腕でやっとった』
ケイルは、翼のない背中を、少しだけ伸ばした。
『一度だけ、翼が欲しいと言った。おれは、借り物だからやめとけと言った』
「つないだな」
『つないだ。おれが死んでから』
ニコが、管から手を離した。
振り返って、北を見た。
都の東の地面の向こう、歩いて一時間ほどのところに、光が膝をついていた。海から来た巨人。空船に吸われた場所から、夜のうちに、塔の音のほうへ寄ってきていた。半分の高さのまま、三日、叩かずに待っている。
『あいつに、言わなきゃ』
ニコの声が、裏返った。
『あいつ、間違えてる。助けに来たつもりなんだよ。閉じ込められてる仲間がいるって思って、ずっと呼んでた。叩いて、呼んでた。でも、違うんだよ』
「今日の夕方で、三日だ」
『分かってる』
ニコは、走り出した。
マーロウも走った。ミラが、腕のない体で、その後ろを走った。
日は、もう傾きはじめていた。
巨人が、ゆっくりと、片方の拳を持ち上げるのが見えた。
第十三章 了