海壁

第二十四章

固い粒

挿絵:固い粒

三日後、ベルがまた紙を持ってきた。

今度は、納屋に来た。

『一番。もう一つ、報告があります』

「…今度は何」

『あなたの損耗が、止まっています』

ミラベルの動きが、止まった。

『損耗というのは、体の減り方のことです。私たちは、粒を燃やして動きます。燃やすと、体の中の粒が少しずつ崩れます。崩れた分は戻りません。二百十年、あなたはそうやって減ってきました』

ベルは、紙を見た。

『私は、あなたの体の音を測っています。継ぎ目の鳴り方で、崩れ方が分かります。三か月前と比べて、崩れが止まっています』

「…なんで」

『餌が違うからです』


ロズリンが、横で筆を持っていた。

いつの間にか来ていた。

「説明を、もう少しいただけますか」

『市場の粒は、変換器が作ったものです。何十年も回っています。ゆるんでいます』とベルが言った。『一番は、二百十年、それを食べてきました。ゆるんだ粒は、漏れが細い。細い漏れで動くには、体をたくさん燃やす必要があります』

ロズリンの筆が、走った。

『今、一番が食べているのは、一〇六番が朝作った粒です。いちばん固く締まっています。漏れが太い。体を燃やす量が、少なくて済みます』

「…つまり」

『燃費です』

ベルは、そう言い切った。

『一番の体は、安い薪で二百十年焚いてきた竈です。今、いい薪が手に入りました』


ミラベルは、何も言わなかった。

言わずに、自分の左腕を見ていた。

曲がった二本の指を。

『…あたし、言っていい?』

「言え」

『信じない』

ミラベルは、腕を下ろした。

『信じたら、つらいもん。もし違ってたら、二度目はもっとつらいもん』

マーロウは、その言葉を、しばらく噛んでいた。

それから、ベルに訊いた。

「測り続けられるか」

『測れます』

「頼む。毎日だ」

『毎日、測ります』

ベルは、紙を丁寧に畳んで、懐に入れた。

畳む手が、少しだけ、丁寧すぎた。

『一番。一つ、言ってもいいですか』

「…なに」

『私は、あなたの顔で作られました。あなたが摩り減るのを見ているのは、たぶん、私にとってよくないことです』

ミラベルが、顔を上げた。

『胸の内側が重くなります。埋めた日と、同じ重さです』

ベルは、首を傾げた。

『これは、何ですか』

ミラベルは、しばらくベルを見ていた。

それから、手を伸ばして、ベルの頭を撫でた。

金属の手で。曲がった指のまま。

『…それはね、心配って言うんだよ』


その夜、ミラベルは納屋で、ずっと自分の手を見ていた。

灯りの下で、右手で左手の指を一本ずつ触って、確かめていた。

『ねえ坊や』

「なんだ」

『ベルの言ったこと、本当だったら、あたしどうなるの』

「摩り減らなくなる」

『それって、つまり』

ミラベルは、そこで言葉を止めた。

止めて、しばらく黙った。

『…言うの怖い』

「言え」

『あたし、終わらないかもしれない』

声が、小さかった。

本心を言うときだけ小さくなる声を、この女も持っていた。

『二百十年、いつか止まるって思って生きてきたの。オスカー爺さんが死んだ日から、ずっと。次はあたしの番だって』

ミラベルは、指を胸に抱えた。

『でも、粒がある限り止まらないなら。粒は、坊やが毎朝作るなら』

マーロウは、藁の上で身を起こした。

「作る」

『毎朝?』

「毎朝だ。死ぬまでな」

『坊やが死んだら?』

言ってから、ミラベルは自分の口を押さえた。

押さえた指の隙間から、小さく言った。

『…ごめん。今のなし』

マーロウは、答えなかった。

答えずに、その手を取って、曲がった指ごと包んだ。

「そのときは、ベルがいる」

『…うん』

「ウィラもいる。ニコもいる。街が作る」

『…うん』

「あんたを止める理由は、もうこの街のどこにもない」

ミラベルは、包まれた手を見ていた。

それから、額をマーロウの肩に押しつけた。

『…ずるい』

「何度目だ、それ」

『何度でも言う』


翌朝、ロズリンが台の横で、新しい帳面を開いた。

表紙に、字が一行書いてあった。

一番・二番の損耗記録。

『ベルさんから、毎日受け取ります』とロズリンが言った。『数字は、私が保管します』

「なんで、あんたが」

『測る人と、保管する人は、別のほうがいいからです』

ロズリンは、眼鏡を押し上げた。

『間違いに気づくのは、たいてい、二人目です』

ベルが、その横で首を傾げた。

『ロズリン・ヴェイク。一つ、訊いていいですか』

「どうぞ」

『私も、同じ餌を食べています』

ベルは、自分の両手を見た。

『私の損耗も、止まっていますか』

ロズリンの筆が、止まった。

止まって、それから、ゆっくり動いた。

「…測ってみましょう。明日から、あなたの音も」

ベルは、しばらく黙っていた。

『はい』

それだけ言って、また首を傾げた。

『胸の内側が、軽いです。これは、何ですか』

ロズリンは、答えを少し探した。

「…それは、たぶん、希望です」

第二十四章 了