海壁

第十五章

妹の翼

挿絵:妹の翼

昼、ロズリンの台に、ニムが粒を三つ持ってきた。

自分の店の棚から出した粒だ。三つとも印付き。

一つ目、中身あり。二つ目、空。三つ目、空。

ニムは、三つを握りしめて、しばらく黙っていた。

それから、ロズリンに言った。

「…台の隣に、わしの机も出す」

『どういうことでしょう』

「空の粒を、買い取る。安くな。明るさの分だけ払う」

ロズリンが、眼鏡を押し上げた。

『それは、買い叩きと呼ばれませんか』

「呼ばれるだろうな」

ニムは、七本の指で、粒を三つ、机に並べた。

「だが、誰も買わなけりゃ、空の粒を持っとる連中は、ただの石を握って死ぬんだ。安くても、値がつくほうがいい」

ロズリンは、しばらくニムを見ていた。

それから、筆を取った。

『買い値を、帳面に書きます。全部です。誰にいくらで買ったか』

「…見張るってことか」

『記録する、と言っています』

ニムが、唸った。

唸ってから、にやりと笑った。

「好きにせい、書記」


夕方、セドリックが荷物をまとめていた。

馬車が三台、東門に並んでいた。

マーロウが門まで行くと、セドリックは紙をめくっているところだった。

『お見送りですか』

「出ていくのを確かめに来た」

『正直な方だ』

セドリックは、紙を鞄にしまった。

『報告は、三つに分けて書きました』

「聞かせろ」

『一つ。海壁は鉄ではない。材質は不明。二つ。市場に空の粒が多数存在する。割合はおよそ四割。三つ。粒を新たに生む者が、この街に一人いる』

「三つ目は、書かないでくれとは言わない」

『言われても、書きます』

セドリックは、初めて、マーロウの顔を見た。

『ですが、書き方は選びました。粒を生む者は、この街から出られない。海のそばを離れると、街の灯りが順に消える。連れ出せば、帝国は灯りを失う。そう書きました』

マーロウは、その薄い青の目を見返した。

「…嘘は書いてないな」

『一行も書いていません』

セドリックは、馬車に乗り込んだ。

乗り込んでから、窓の縁に手をかけて言った。

『次に来るのは、紙を読んだ人間だと言いました。訂正します』

馬車が、動きはじめた。

『次に来るのは、紙を読まない人間です。都には、そういう者のほうが多い』


その夜、納屋の灯りは、早めに消えた。

ウィラは、ニムの店の二階に泊まることにした。

自分で決めた。

ニムが理由を訊くと、ウィラはこう言った。

「今夜は、納屋に用事がないから」

ニムは、それ以上訊かなかった。

訊かずに、棚から干した杏を出して、ウィラの手に押しつけた。

『食え。糖が足りとらん顔しとる』

ウィラは、杏を口に入れた。

噛んで、飲み込んで、それから、少しだけ泣いた。

泣いて、すぐに笑った。

「…あたし、お母さんが二人いなくなったみたい。一人は会ったばっかりで、もう一人は、まだそこにいるのに、遠くなった」

ニムは、返事をしなかった。

返事の代わりに、杏をもう一つ、押しつけた。

「二つはいらない」

『食え』

「食べる」


シビルは、三日間、蔵から出てこなかった。

四日目の朝、マーロウが蔵へ行くと、シビルは奥の部屋で、二枚の翼の横に伏せていた。

ケイルから返された、自分の翼だ。

その横に、紙が一枚、広げてあった。

『おはようございます、マーロウ・ケイン』

声は、いつもの声だった。

「寝てないな」

『三日、寝ていません。知らないことがあると眠れない性質ですので』

シビルは、紙を前足で押して、マーロウのほうへ向けた。

名前が、いくつか書いてあった。

『私の家族です。四人いました』


『父。母。私。妹』

シビルは、順に爪で示した。

『私たちは、南の山にいました。二十年前、共和国の人間が来ました。話を聞かせてくれと言いました。父が応じました。話を売るのは、私たちの生業でしたから』

シビルの尾が、一度だけ、床を打った。

『三日後、山に兵が来ました。父と母は、その場で。私と妹は、南へ連れていかれました』

「…翼は」

『私のは、三年前に取られました。ケイル・モーテンセンの背中に付けるために。妹のは、三年前には、まだありました』

シビルは、紙の四つ目の名前を、爪で押さえた。

『あの獅子の背中にあったのが妹の翼なら、取られたのは、この三年のうちです』

「妹は」

『分かりません』

シビルは、初めて、顔を上げなかった。

『生きているかもしれません。死んでいるかもしれません。翼だけが、先に帰ってきました』


『一つ、買っていただけますか』

「何を」

『話ではありません。頼みです』

シビルは、二枚の翼を、前足でそっと押した。

『これを、私の妹に渡したいのです。妹の翼は、もうありません。姉妹の翼なら、妹の背中に合います』

マーロウは、翼を見た。

灰白色の、大人一人ぶんより重い翼が、二枚。

「南か」

『南です。歩いて二十九日。私の足では、もう少しかかります』

「一人で行く気か」

『行く気です。ですが、一人では、都の門をくぐれません』

シビルは、瞬きの遅い金色の目で、マーロウを見た。

『ですから、いずれ、誰かに頼むことになります。今日は、頼むための順番を整えているだけです』


その日の夕方、マーロウは壁に上がった。

石の剥がれた場所に、手のひらを当てた。

「聞こえてるか」

『聞こえています』

「訊きたいことがある」

『どうぞ』

「この前、共和国の将軍が来た。獅子だ。前脚に、あんたと同じ金属が入ってた」

金属が、震えた。

『はい』

「はい?」

『三年前から、共和国に、腕と脚を売っています。合計で十一本です』

マーロウの手のひらが、金属の上で止まった。

「…売った」

『はい』

「代価は」

『粒です。共和国は粒を多く持っています。畑がありますので』

「あんた、こっちにも粒をくれと言って、刃を二本よこしたな」

『はい』

「同じ相手に、両方売ってるのか」

『売っています』

金属の声には、後ろめたさの気配が、一片もなかった。

『私は、燃料と水の問題を解くために作られました。どちらに売っても、粒は増えます。粒が増えれば、計算は進みます』

第十五章 了