海壁

第十七章

手紙

挿絵:手紙

その日の昼、サイラスが、硝子の板を持ってきた。

走ってはいなかった。

ただ、目が笑っていなかった。

『ケインさん。刃の方々。本部から報せでございます』

板の字は、二行だった。

共和国より、刃の注文を受領。数、六。

納期、百八十日。

市場の音が、遠くなった気がした。

ミラベルが、板を覗き込んだ。

覗き込んだまま、動かなくなった。

「…六本」

ベルが、その横に立った。

二人の同じ顔が、並んで、同じ角度で首を傾げた。

『私と同じものが、六つですか』とベルが言った。

「あんたと同じなら、まだいいよ」

ミラベルが言った。

「名前をもらえなかったら、どうなると思う」


手紙は、東から来た。

荷車の隊商が、哨所で預かってきた。哨所のハーランが、南から来た行商から受け取って、次の便に託したものだ。

封は、赤い蝋で留めてあった。共和国の印だった。

差出人の名前は、書いていなかった。

中の字は、太くて、曲がっていて、線の終わりが跳ねていた。

ドラグが、一行目を読んで、口の端を動かした。

『兄の字だ』

「読めるのか」

『読める。昔から下手だ』


手紙は、短かった。

着いた。三十一日かかった。翼のない足では、こんなものだ。

畑は、光っている。おまえの顔をした男が、管をつないだ日に戻った。二万人の息が、太くなった。

双子は、畑の番についた。前を向いたほうが夜、後ろを向いたほうが昼。よくできた話だ。

おれは、都に呼ばれた。行った。将軍の位は返した。翼がないのだから、当たり前だ。

今は、畑の脇の小屋にいる。豆を炊いている。弟にもらった上着は、袖が短い。

一つ、伝える。都の宮殿に、広間が一つある。壁に、翼が並べて飾ってある。数えた。十一枚だ。

獅子の翼だった。

返事は要らん。書くのが遅いからな。

ケイル・モーテンセン

ドラグは、最後まで読んでから、上着のところにもう一度目を戻した。

『…袖が短い、と書いてある』

「書いてあるな」

『兄は、腕が長い。子どものころ、兄のお下がりは、おれには袖が余った。おれの上着が兄に合わないのは、当たり前だ』

ドラグは、手紙をマーロウに渡した。

渡す前に、紙の端を、親指で一度だけ撫でた。


マーロウは、その手紙をシビルの蔵へ持っていった。

シビルは、一行ずつ読んだ。

最後の四行を、三回読んだ。

それから、顔を上げた。

『十一枚』

「ああ」

『十一枚とも、ほかの誰かの翼です。私のは、ここに二枚あります。妹のは、獅子の背中で崩れました』

シビルの声は、少しも崩れていなかった。

崩れていないのが、かえって恐ろしかった。

『十一枚ぶんの誰かが、南にいます。生きているのか、死んでいるのか、分かりません』

シビルは、壁際に並べてある二枚の翼を見た。

『マーロウ・ケイン。頼みの順番が、来ました』


その夜、ニムの店に集まった。

シビルは店に入れないので、通りに伏せて、窓から顔を入れた。

ロズリンが、地図を広げた。

『南の都までは、歩いて二十九日。牛に引かせる荷車なら二十三日です』

「戻るのに、同じだけかかる」とマーロウが言った。

『往復で五十日前後。都での日数を足すと、二か月は見ておく必要があります』

「おれは行けない」

言い切った。

海の釣り合いは、一日も止められない。

『ベルが残れば、二日か三日は持ちます』とロズリンが言った。『ですが、二か月は無理です』

ベルが、首を傾げた。

『私の刃でも、粒は作れます。ですが、一日に二百が限度です。一〇六番の半分以下です』

「足りないな」

『足りません』


『行くのは、私です』とシビルが言った。

「一人でか」

『翼を二枚運びます。一枚が大人一人ぶんより重い。一人では運べません』

ドラグが、口を開いた。

『おれが行く』

全員が、ドラグを見た。

『壁の隊長は、都への移送が保留になっている身だ。街にいても、いつ書類が動くか分からん。動く前に、街の外へ出ておくほうがいい』

「それ、理由の順番が逆だろ」とマーロウが言った。

ドラグは、答えなかった。

答えずに、シビルを見た。

「兄が広間を見た。兄は数を数えた。おれの兄が数えた数を、おれが確かめに行く」

シビルは、窓の外から、金色の目でドラグを見ていた。

『…ありがとうございます』

「礼はいい。荷車を一台出す」


ブリンが手を挙げた。

「わしも行く。豆を炊く者がおらんと、旅は死ぬぞ」

『左腕が、まだ利かんだろう』とドラグが言った。

「右で豆は炊ける。右で殴れる」

ボロが、ブリンの足元で尻尾を振った。

ガスが言った。

『おれも行こうか?』

「おまえは残れ」とマーロウが言った。「あと三十日で、オットとサムが戻る。毎朝一滴やるやつが要る」

ガスは、少し黙った。

それから、にやっと笑った。

『そうだな。そうだったな』


支度に、三日かかった。

出発の朝、東門に荷車が一台。

荷台に、二枚の翼を、麻布で包んで積んだ。ヴェスタが縫った麻布だ。縫い目が細かかった。

ロズリンは、見送りに出てこなかった。

出発の直前まで、詰所の机で、何かを書いていた。


荷車が動き出す直前に、ロズリンが走ってきた。

紙束を抱えていた。走ったせいで、眼鏡がずれていた。

『隊長』

ドラグが、御者台から降りた。

ロズリンは、息を整えて、紙束の中から一枚を抜いた。

表紙の裏の、あの欄だった。日付だけが並んでいる欄。書かなかったことの欄だ。

「見てください」

ドラグは、受け取って、読んだ。

一行目。上着を掛けた日。

二行目。名前を呼ばれた日。

三行目。一たちを見送った朝。

四行目から下に、日付が三十七。

そして、いちばん下の行に、初めて、字が書いてあった。

行かないでください、と書いてありたい。

第十七章 了