海壁

第二十七章

提督

挿絵:提督

灰白色の翼が、空を上っていった。

右が遅れる羽ばたき方で。よろめいて離れていく二隻目を追って。

マーロウは、禁止区の乾いたところで、それを見上げていた。

隣に、一が座り込んでいた。縄の跡の残る手首を、さすっていた。

『…あの男は、何をしに行った』

「都の提督を、引きずり下ろしに行った」

『一人でか』

「一人でだ」

『馬鹿か。馬鹿だな』

一は、空を見上げたまま、二回言った。

『おれを、落ちる前にさらった男だ。馬鹿で、いい男だ』


翼が、二隻目の甲板に降りたのが見えた。

遠かった。人の形が、豆粒くらいにしか見えなかった。

甲板の上で、光が走った。刃の光ではなかった。空船の槍を回していた、白い光だった。

一つ。二つ。

豆粒が、甲板の上で入り乱れた。

ドラグが、壁の根元に立っていた。

両手を、握りしめていた。関節が、白くなっていた。

声は、出さなかった。

十四年、壁の上で、怒鳴らずに立ってきた男だった。


二隻目の腹から、煙が上がった。

黒い煙だった。船が、傾いた。傾いたまま、南へ、少しずつ遠ざかっていく。三隻目が、横に寄り添うように並んだ。

甲板から、何かが落ちた。

翼だった。

灰白色の翼が、開いたまま、くるくると回りながら、海へ落ちていった。

羽ばたいていなかった。

「…ケイル」

ドラグの声だった。

初めて聞く声だった。

翼は、沖の、星の海に落ちた。

しぶきが上がった。星が、ぱっと散った。


ドラグが、走った。

乾いたところを出て、濡れた地面を走って、波打ち際を越えて、海の中へ。

オークは、海の水では変わらない。

膝まで。腰まで。胸まで。

星の海を、泳いでいた。

オークが泳ぐのを、マーロウは初めて見た。上手くなかった。腕で水を叩いて、叩いて、前に進んでいた。

ロズリンが、壁の根元から、乾いたところの端まで走ってきた。

そこで、止まった。

止まらなければならなかった。人間の体だった。

両手を、口に当てていた。

「隊長! 隊長っ!」

ロズリンが大きな声を出すのを、マーロウは初めて聞いた。


沖で、星が、集まっていた。

ケイルが落ちたところに。

ミラベルが落ちたときと同じだった。星が、下から支えていた。沈まないように。

ドラグが、そこへ着いた。

兄の体を、抱えた。

翼が、水の上に広がっていた。灰白色の羽根が、星の光を受けて、骨の色に見えた。

ドラグは、兄を抱えたまま、岸へ向かって泳ぎはじめた。

重かった。遠くからでも、重いのが分かった。翼が、水を吸っていた。

ドラグの頭が、一度、沈んだ。

浮かんだ。

また、沈んだ。


海が、動いた。

波打ち際へ向かって、ゆっくり、押すように。

星を抱えた水が、ドラグと、ドラグの抱えた兄を、下から押していた。

岸へ。岸へ。

ニコが、波打ち際で、腰まで浸かって、両手を広げていた。

『お願い。お願い。その人たち、連れてきて』

小さな声だった。

海が、答えた。

そう見えた。

ドラグの足が、底についた。

膝をついて、立ち上がって、兄を抱えたまま、濡れた白い地面を歩いてきた。

乾いたところの端で、ロズリンが待っていた。

ドラグは、そこまで来て、膝をついた。

兄を、乾いた地面に下ろした。


ケイルは、生きていた。

目を開けていた。胸が、浅く上下していた。

翼が、両方とも、ずたずたに裂けていた。付け根から、黒ずんだ血がにじんでいた。

「…提督は」とドラグが訊いた。

兄は、少しだけ、口の端を上げた。

『甲板から、叩き出してやった。三隻目に、拾われたがな』

「引きずり下ろしたのか」

『半分な。…下ろしたが、落とせなかった』

ケイルは、咳き込んだ。

それから、裂けた翼を、横目で見た。

『…こいつは、もう飛ばんな』

ドラグは、答えなかった。

兄の手を、握っていた。

十四年ぶりか、それ以上ぶりか。マーロウには分からなかった。

ただ、ドラグが兄の手を握るのを、初めて見た。

第二十七章 了