海壁

第十八章

消える灯り

挿絵:消える灯り

壁の上に着いたときには、日が沈みきっていた。

見張り塔の灯りが、並んでいた。壁に沿って、北から南へ、三キロにわたって。どれも、粒を一つずつ入れて点けてある灯りだ。一粒で十年保つ。

その灯りが、南の端から、消えていっていた。

一つ。

また一つ。

誰も消していないのに、ふっと暗くなる。暗くなった灯りの隣が、少しして、また暗くなる。

壁の上の兵たちが、ざわざわしていた。

グロムが、消えた灯りの一つの前に立っていた。

『粒が、入っているはずです』

グロムは、灯りの硝子の蓋を開けた。

中を覗いて、手を入れて、出した。

指先が、濡れていた。

『…水です。粒の代わりに、水が一滴、入っています』


マーロウは、壁の縁から、海を見た。

星の海だった。巨人が入った夜から、六日たっても、海はまだ光っていた。

ただ、入った夜とは違っていた。

海が、近かった。

百メートルあった禁止区の白い地面が、半分になっていた。波が、白い地面を舐めるように、壁のほうへ寄せてきていた。

「…上がってるのか、海が」

『上がっています』

ロズリンが、壁の縁に棒を立てて、印をつけていた。いつの間に来ていたのか、誰も見ていなかった。

『日が沈む前に、この印まででした。今は、ここです。指一本ぶん、高いです』

「日が沈んでから、指一本か」

『今夜のうちに、手のひら一枚ぶんは上がります』


ミラベルが、足を引きずりながら、梯子を上がってきた。

ウィラが、その体を支えていた。

ミラベルは、消えた灯りを見た。海を見た。濡れた白い地面を見た。

それから、帯の小袋から、粒を一つ出した。

マーロウが渡した袋だった。

『坊や。見てて』

ミラベルは、粒を、壁の縁から海側へ落とした。

粒は、二十二メートル下の、濡れた白い地面に落ちた。

全員が、壁の縁から身を乗り出して、灯りをかざした。

粒は、濡れた地面の上で、黒く光っていた。

十数えた。

二十数えた。

三十を数えたところで、粒の輪郭が、揺れた。

溶けた、とは違った。黒い粒が、透明になっていった。透明になって、丸くなって、濡れた地面の水たまりと、区別がつかなくなった。

一滴の水になっていた。


誰も、しばらく何も言わなかった。

兵たちは、灯りの硝子の中の一滴を見ていた。

ロズリンは、筆を止めていた。

シビルが、壁の下から、梯子を上がってこられないので、下で声を張った。

『何が起きていますか』

「粒が、水になった」とマーロウが下へ叫んだ。

下で、シビルが黙った。

話を買って売る商人が、黙っていた。

『…逆ですね』

「逆?」

『粒は、水と血から生まれます。三百年、この世界で誰も見たことのない向きです。粒から、水へ』


ミラベルが、壁の縁に腰を下ろした。

海を見ていた。星の海を。

『あたし、ずっと分かんなかったんだよね』

小さな声だった。

『本部が、なんであいつを坑の底に閉じ込めてたのか。なんで二百十年前に、あたしを作ってまで、押さえつけようとしたのか』

「分かったのか」

『うん。今、分かった』

ミラベルは、濡れた白い地面の、さっき粒が落ちたあたりを見下ろした。

『あいつ、粒を水に戻すんだよ。坑の底でも、ずっとそうしてたんだと思う。おじさんが毎朝沈めてた粒、沈んで消えたって言ってたでしょ。消えたんじゃない。あいつが食べて、水にしてたんだ』

マーロウは、坑の底を思い出した。

深さの分からない水の底に、作った端から沈んでいった粒。拾えるもんじゃない、と一は言った。

坑の水位は、一晩で三メートル上がった。

水が増えていたのは、海が押し上げていたからだけではなかった。


『本部はさ、燃料の問題は解いたって言ってたよね』とミラベルが言った。

「言ってた。二百九十年前に」

『あいつがいると、それが崩れる。粒が水に戻っちゃうから。本部が一番大事にしてる答えが、端から溶ける』

ミラベルは、南の端から消えていった灯りの列を見た。

『だから閉じ込めた。水が足りない世界なのに、水を作れるやつを、坑の底に閉じ込めてた』

ウィラが、ミラベルの隣で、膝を抱えていた。

「…ひどい」

『ひどいよね』

「だって、水、足りないんでしょ。みんな一日三リットルとか、そういうので生きてるんでしょ」

『うん』

「なのに、水を作れるのに、閉じ込めてたの?」

ミラベルは、答えなかった。

答えの代わりに、曲がった指で、ウィラの頭を撫でた。


壁が、鳴った。

足の下から、あの抑揚のない声がした。

『二番』

壁の上の、いちばん北の見張り塔の屋根に、白い影が立っていた。

二番だった。

『個体を壊してください。海に入り、個体を粒に戻してください。これは最優先です』

二番の両腕から、刃が伸びた。

二本。

白い影は、屋根を蹴った。

二十二メートルの壁の上から、海側へ。

濡れた白い地面へ。

星の海へ。

第十八章 了