海壁

第十六章

四十三キロ

挿絵:四十三キロ

籠が上がってきたのは、下ろしてから三日目の昼だった。

下りに十九時間、上りに十九時間。残りは、籠が下で止まっていた時間だ。誰かが下で何かをしていた時間、という意味でもある。

ウィラは三日とも、塔の下で寝た。

牛が四頭、巻き取り機を回している。鎖が巻かれる音が、朝から続いていた。

最後の十メートルで、坑夫の一人が声を上げた。

『来たぞ』

籠が穴から出てきた。

ハーランが秤の目盛りを読んだ。

『四十三キロ』

ウィラが走った。誰も止められなかった。


籠の中には、水の入ったガラスの筒が一本。

そして、その筒に紙が巻きつけてあった。

ウィラが紐をほどいて、紙を広げた。

広げてから、しばらく黙っていた。読むのが遅いからではない。

「…字、下手すぎ。なにこれ。なにこの字」

『読めますか』とロズリンが言った。

「読めるよ。読めるけど下手。ほんっとに下手」

そう言いながら、ウィラの手は震えていた。

ウィラは声に出して読んだ。三回つっかえた。

生きている。下に一人いた。九年生きている。

十四人は死んでいない。十三人は死んだ。並べてある。

籠では上がれない。別の道を登る。三十日かかる。

三十日たっても来なかったら、もう少し待て。

答えはまだ無い。上で言う。

読み終わって、ウィラは紙を胸に押しつけた。

それから、しゃがんで、両手で顔を覆った。

「生きてるって書いてある」

誰も答えなかった。

「生きてるって、自分で書いてるじゃん。ばか。ほんとにばか」

そこから先は声にならなかった。三十秒ほど肩が上下して、それから立ち上がって、鼻を袖で拭いた。

「ロズリンさん。これ写して。二枚。ううん、三枚」

『三枚写しました。読み上げている間に』

「えっ、は? もう? 早くない?」

『職業ですので』

ロズリンは眼鏡を押し上げた。少しだけ胸を張っていた。


サイラスが手を出したのは、そのすぐ後だった。

『その紙は帝国の坑内から出たものです。記録として本部へ送ります。お渡しください』

「やだ」

『規則です』

「やだってば」

サイラスが一歩踏み出したところで、ドラグが間に入った。入っただけで、何もしなかった。

それで足りた。サイラスの頭は、ドラグの胸までしかない。

「メレディス。質問がある」

『どうぞ』

「直近六回の籠の重量記録に、おまえの判子が押してある」

『押しました』

「六回とも四十三キロだ。籠だけなら四十キロだ。三キロ多い」

『そのとおりです』

「気づいていたか」

サイラスは眼鏡の位置を直した。

『気づくも何も、私が量りました』

「書類には空と書いた」

『籠に人が乗っていない状態を、空と呼びます。三キロの積荷は積荷欄に記載しております。別の欄です』

ハーランが、顔を上げた。

「積荷欄の書類は、ここに回ってこない」

『はい。本部直送です』

「九年、私は空だと思っていた」

『空です。人は乗っておりません』

ハーランは、それ以上何も言わなかった。火傷の跡のある側の顔は、もともと表情が出ない。出ないほうの側で立っていた。


その晩、ドラグは護衛と御者を集めた。

『荷車は明後日出す。哨所で空荷を受け取って、西へ帰れ』

「隊長は」

『残る』

「規則では」

『規則は知っている。書類はロズリン・ヴェイクに書かせる。おれの判断だ。責任もおれだ』

誰も反論しなかった。オークの隊長が一度言ったことを、三回言わせる部隊ではなかった。

ウィラは、言われる前に言った。

「あたしも残る」

『荷役の契約は往復だ』

「破る」

『違約金が出る』

「払う。あたしの銅貨、まだ手つかずだもん」

ドラグは、名簿の端に線を引いた。

『違約金は保留にする。三十日後に決める』


翌朝、サイラス・メレディスがいなかった。

小屋は片づいていた。荷物も、書類も、判子も無い。寝台の布は畳んで枕の上に置いてあった。

馬が一頭と、水が二十リットル減っていた。

ハーランが、馬の置いてあった場所の足跡を見た。

『東だ』

「東に何がある」とドラグが訊いた。

『何もない。馬で六日だ』

「六日先には」

ハーランは、答える前に一度、塔のほうを見た。

『孤独の大地だ。行った者から話を聞いたことがない』

ロズリンが板に書いた。書きながら、小声で言った。

「二日目です」

『何がだ』

「マーロウ・ケインが登りはじめて二日目です。着くのは三十日目。メレディスが馬で六日なら、二十二日早く向こうに着きます」

第十六章 了