海壁

第十三章

十九時間

挿絵:十九時間

籠は、思っていたより粗末だった。

鉄の枠に板を張っただけの箱で、大きさは大人一人が膝を抱えて座れるくらい。上に鎖がついている。鎖の太さは親指ほどで、それが塔の上の滑車を通って、巻き取り機に繋がっている。

巻き取り機は牛が回す。四頭で回す。十九時間かけて下ろし、十九時間かけて上げる。

『積めるのは百二十キロまでです。それ以上は鎖が保証できません』とサイラスが言った。

「おれは七十二キロだ。何か持って下りられるか」

『水と、灯りと、工具。合計で八キロまで』

「食い物は」

『ご自由に。ただし八キロの中です』

マーロウは、その八キロの内訳を三回計算し直した。


ドラグが反対したのは、出発の前の晩だった。

『おれが下りる』

「オークが入る大きさじゃないだろ、あの籠は」

『膝を折れば入る』

「体重は」

ドラグは黙った。

「百四十キロはあるだろ。鎖が切れる」

『百三十六キロだ』

「籠が四十キロある。五十六キロ超えてる」

ドラグは、しばらく黙ってから、短く言った。

『兄を探しに来た。おまえを下ろしに来たんじゃない』

「おれも兄貴を探しに来たわけじゃない。三年前に東へ来た男を探しに来た。同じ場所にいる」

ドラグは、それには答えなかった。

答える代わりに、腰の袋から金属の名札を一枚出して、マーロウに押しつけた。街側の船から出た、あの名札だった。

『下で会ったら返してやれ』


ウィラは、朝まで口をきかなかった。

籠の前まで来て、荷を縛るのを手伝って、それでも何も言わなかった。

マーロウが籠に足をかけたところで、袖をつかんだ。

『ねぇ』

「なんだ」

『灯台のとき、あのスフィンクスに聞かれたでしょ。七日で何がしたいんですかって』

「聞かれたな」

『答えた?』

「答えてない」

『今は?』

マーロウは籠の縁を握ったまま、少し考えた。

本当に考えた。三十日以上、ずっと後回しにしていた質問だった。

「…まだ無い」

『そう』

ウィラは袖を離した。離してから、もう一度つかんだ。

『じゃあ、上がってきて言って』

「何を」

『答え。下で考えて、上がってきて、あたしに言って。それが約束』

「約束にしては安いな。おれが何か言うだけだぞ」

『安くないよ。上がってこないと言えないんだから』

マーロウは口を開いて、閉じた。

三年間で、四度目だった。

「分かった」

『言った。今、分かったって言った。ロズリンさん、書いて』

「書きました」とロズリンが言った。「何時何分まで書きました」


籠が下がりはじめた。

最初の十メートルは、地面の穴を通るだけだった。周りが鉄の管で、その隙間から灰色の岩が見える。

五十メートルで、上の光が丸くなった。

二百メートルで、丸が点になった。

三百メートルで、消えた。

灯りは油の小さなランプが一つ。八キロの中から選んだものだ。炎が上を向かない。籠が下がる速さのせいで、炎が横に寝ている。

音は三つあった。鎖が軋む音。籠が管の壁に当たる音。それから、自分の呼吸だ。

一時間ほどで、壁の色が変わった。灰色から、赤黒い色に。

三時間で、暑くなった。

五時間で、汗が出なくなった。体が乾いたのではない。汗が出る前に蒸発している。

マーロウは水を飲んだ。渇きは感じない。それでも飲んだ。ヴェスタが言ったことを覚えていたからだ。感じないものほど、数えて管理しろ。


八時間目に、壁が無くなった。

管の隙間から見えていた岩が、急に遠のいた。ランプの光が届かない。籠は空中を下りている。

大きな空洞の中に入ったのだと分かるまで、数分かかった。

声を出してみた。

「おーい」

返ってきた。四回返ってきた。四回目は、ずいぶん遅かった。

広い。どれくらい広いのか、見当がつかない。

十分ほどで、また壁が現れた。今度の壁は、岩ではなかった。

平らだった。継ぎ目が見える。金属だ。

ランプを近づけると、表面に細い線が走っていた。線は規則正しく並んでいて、途中で直角に曲がって、また並んでいた。

錆びていない。

マーロウは十年、拾い屋をやっている。錆びない金属は、この世に三種類しかない。三種類とも、人が作れるものではない。


十四時間目に、眠くなった。

二十日あまりぶりだった。

それが怖かった。痛みが消え、寒さが消え、渇きが消え、眠気が消えた。その眠気が戻ってきている。

戻ってきているということは、下へ来たせいだ。

マーロウは眠らなかった。自分の膝を思い切りつねって、痛くないことを確かめて、それでも眠らなかった。


十八時間目に、匂いが来た。

塩だ。

禁止区の匂いでも、乾いた窪地の匂いでもない。濡れている。

マーロウは、生まれてから一度も、濡れた塩の匂いを嗅いだことがなかった。

十九時間目、籠が止まった。

鎖が緩んで、籠が少し傾いて、板の底が何かに触れた。

ランプを持ち上げた。

床があった。金属の床だ。

そして、その床の上に、灯りが一つ点いていた。

マーロウのランプではない。もっと白い光だ。油の炎ではない。

光の横に、人が立っていた。

第十三章 了