第七章
晩飯

六日目の昼、マーロウは筒を持ってヴェスタの店に行った。
荷物は門で改められる。帝国の荷に私物を紛れ込ませることはできない。持っていけないなら、置いていくしかない。
シビルに売る手もあった。売らなかった。理由は自分でもはっきりしていた。あれを売ったら、東へ行く理由が金になってしまう。
ヴェスタは筒を受け取って、灯りに透かした。中の水が動いた。
『これを預かって、わしに何の得がある』
「ない」
『正直でよろしい。いくら出す』
「十二枚。全部だ」
『足らん。が、受け取る』
ヴェスタは棚から反物を一本抜いた。太い麻布で、巻きが硬い。半分ほどほどいて、筒を真ん中に置いて、巻き直した。端を十二針で縫って閉じて、棚に戻した。同じ太さの反物が、両隣に何十本も並んでいる。
「よく思いついたな、それ」
『布は布の中に隠す。四十年やっとれば誰でも思いつくわ』
「見つかったら」
『知らんと言う。嘘にならんように、中身は聞かんことにする』
ヴェスタは根を床に吐いて、それから、見えているほうの目でマーロウを見た。
『帰ってきたら返す。帰ってこなけりゃ、わしが死ぬ日まで棚にある』
その晩、ニムの店で飯を食った。
誰が言い出したのでもない。ウィラが鍋を持ってきて、ガスが樽を椅子にして、ニムが店を閉めた。ヴェスタは呼んでいないのに来た。
鍋の中身は、豆と、干した肉と、根菜だった。肉は二日前の売れ残りで、ニムが値切って買ってきたものだ。そのことを三回言った。
『三割引だぞ。三割だ。わしが粘ったんだからな』
「さっきも聞いたよ」
『二回しか言っとらん』
「三回!」
ガスは左手で匙を持とうとして、三回落とした。四回目でつかんだが、口まで運ぶ途中で豆が全部こぼれた。
『くそっ』
「貸して。あたしが食べさせたげる」
『やめろ! 餓鬼じゃねえんだ!』
「餓鬼のほうがまだ上手いよ」
『言うようになったなぁお嬢ちゃん!』
ヴェスタが黙って手を伸ばして、ガスの匙を取り上げた。柄に布を巻いて、輪を作って、ガスの手首に通した。
『これで落ちん』
「…いくらだ」
『布の切れ端だ。金を取るか、こんなもんで』
ガスは匙を口まで運んだ。今度はこぼれなかった。
三口食べて、それから鼻をすすった。
『豆が目にしみるんだよ。うるせえな』
「何も言ってないでしょ」
『顔が言っとるわ』
ニムが古い酒を出してきた。樽の底に十年沈んでいたやつだ、と本人は言った。
ウィラが匂いを嗅いで、顔をしかめた。
「これ、腐ってない?」
『酒は腐らんわ!』
「匂いが腐ってるってばぁ」
『それが熟成というものだ。ゴブリンの舌は人間の四倍細かいんだぞ』
ヴェスタが一口飲んで、床に吐いた。
『腐っとる』
「…そんな馬鹿な」とニムが言った。
ニムが自分で飲んで、黙り込んだ。ウィラが笑い転げて、樽から落ちそうになって、ガスの膝にぶつかった。ガスが痛がって、それでまた笑った。
マーロウは壁にもたれて、それを見ていた。
この四人とは、それぞれ別々に関わってきた。四人が一つの部屋にいるのは、これが初めてだった。
片づけのとき、ウィラが鍋を抱えて外に出た。マーロウも皿を持って出た。
井戸端で洗った。
『マーロウ』
「なんだ」
『さっき、ニムに何て言った?』
「酒のことか」
『違う。帰り際。横を通るときに何か言ってたでしょ』
マーロウは思い出した。
「…失礼します、って言った」
ウィラの手が止まった。鍋が井戸の縁に当たって、鈍い音がした。
『マーロウ、そんな言い方しないよ』
「しないな」
『十年ニムのとこ通ってて、一回も言ったことないでしょ』
「ない」
ドラグが言った三つの兆候を、マーロウは数えた。言葉が丁寧になる。痛みを感じなくなる。命令に逆らわなくなる。
二つ来ていた。
『…痛いところ、ある?』
「ない」
『寒い?』
「寒くない」
『この水、冷たいでしょ』
マーロウは井戸水に手を入れた。
水が動いているのは分かる。指のあいだを通っていくのも分かる。冷たさだけが来ない。
「…冷たいな」
『嘘つき』
ウィラは鍋を抱えて、先に店に戻った。
七日目の朝は、鐘が二つ鳴る前に来た。
東門の広場に、荷車が六台並んでいた。牛が一台に二頭ずつ、全部で十二頭。
ガスが見送りに来ていた。匙に巻いた布が、まだ手首に通ったままだった。
『マーロウ。一つ頼まれてくれ』
「断る」
『聞いてから断れや!』
ガスは左手で市場のほうを指した。
『おれがシビルんとこに行って戻らなかったらな。サムの妹に、兄貴は死んだって言ってやってくれ』
「生きてるだろ」
『あれは生きてるとは言わねえよ』
ガスは笑わなかった。
『あの子は待つんだよ。待つやつは、死んだって聞くまで待つ。十年でも二十年でも待つ。おれの母親がそうだった』
「嘘をつけって言ってるのか」
『帰ってこねえもんは死んだんだ。そう言ってやらねえと、あの子が終われねえ』
マーロウは、しばらく黙っていた。
「分かった。伝える。ただし条件がある」
『何だよ』
「おまえが生きてたら、おまえが自分で言え。おれは一回しか行かない」
『…あぁ。そりゃそうだな』
ガスは残った三本の指で、マーロウの肩を叩いた。力が入っていなかった。
ドラグは三台目の荷車の横で名簿を見ていた。
『荷役、マーロウ・ケイン。これで二人。揃った』
「二人?」
『人手が二人足りんと言った。おまえで二人目だ』
「一人目は」
ドラグは名簿を向けた。太い指が一行上を押さえている。
荷役、ウィラ・ドーセット。十五歳。昨日の日付で判子が押してあった。
マーロウは荷車のほうを見た。四台目の車輪のところに、ウィラが座っていた。膝を抱えて、こっちを見ている。
そこまで歩いた。歩くあいだに、言うことを三つ考えて、三つとも捨てた。
「降りろ」
『やだ』
「十九日だぞ。片道でだ」
『知ってる。書類読んだもん』
「読めるようになったのか、そんなもん」
『三年前から読めるってば』
マーロウは詰まった。
「なんでだ。理由を言え」
『…昨日の晩、失礼しますって言ったでしょ』
「言った」
『あと四日で、マーロウがあたしのことウィラ様って呼ぶかもしれないんでしょ』
「呼ぶ前に降ろす」
『呼んだら降りる。それまでは降りない』
ウィラは顔を上げた。目が赤かった。声は普通だった。
『あたしね、四年前に見送ったんだよ。十一頭。全部、名前つけてたのに、見送っただけ』
「今回は違う」
『違わないよ。だから乗る』
マーロウは口を開いた。何も出てこなかった。
鐘が二つ鳴って、荷車が動きはじめた。
東門をくぐるとき、マーロウは振り返った。
ガスが立っている。ニムが樽の上に登って手を振っている。ヴェスタは来ていない。来ないと言っていたので、そのとおりだった。
その後ろ、人だかりの端に、背の高い猫背の男が立っていた。オットだった。
止めに来たのではない。荷車を見てもいない。門の柱に手を触れて、立っているだけだった。
『…あれ、オットだよね』
「そうだ」
『なんで止めないの。筒、渡してないのに』
「シビルはおれに東へ行ってほしいんだ。だから止めない」
『え、じゃああたしたち、あいつの言いなりってこと?』
「今のところはな。行き先が同じだからだ」
ウィラは荷車の縁を握った。
『…それ、いつまで同じなの』
「知らん。ずれたときに考える」
第七章 了